2008年4月21日
第25回
星ヶ丘マタニティ病院の30年
 我、星ヶ丘マタニティ病院が開院以来30周年を迎えました。

  「患者さんに優しい
   理想の周産期病院の確立」

 夢と理想に燃えて開院した当時は まだ弱冠38歳でした。
 あれから30年、夢は具現したのでしょうか。理想は現実となったのでしょうか。
 夢と現実のギャップは大きく幾多の紆余曲折がありながら今日に至りましたが、世間の評価はとも角、自分自身の採点では未だ心許無いものがあります。正直云って理想に達しているとは云えません。とても集大成と云う訳にはいきませんが、それでも私にとっては、良くここまで頑張って来られたと、30年と云う一つの節目で本当に感慨深いものがあります。
 思い起こせば、産婦人科を専攻し、特に産科に興味を持ち、大学で研修を積んで十数年、その中で私は、お産と云うものはもっと妊婦さん中心に進行すべきだ、あまりにも妊婦さんが無視され過ぎている、妊婦さんの意思を無視した管理に、良いお産はあり得ないと、考えるようになりました。お産は女性に取って一生に一度か二度の大げさに言えば命を賭けた大事業ですから、もっと妊婦さんが大事にされるべきだ。医学的にもアメニティの面でももっと優遇されなければならない。母子ともに安全で、しかも出来るだけ快適な分娩、そんな妊婦さんに優しい周産期管理をするにはどうすれば良いのか、結論は自分がトップになって思い通りの周産期病院を作る事でした。そこで、私は妊婦さんに優しい妊婦さん本位の病院を作りたいと云う一念から、この星ヶ丘マタニティ病院を設立しました。それ以後は、「患者さんに優しい周産期病院の確立」をモットーに今日まで精一杯の努力を重ねて参りました。そして今、ある程度初期の目標に達することが出来たと自分なりに満足はしています。又今の全国の周産期病院の趨勢を見ても、私の考えは間違っていなかった、先見の明があった。少なくとも名古屋では先鞭をつけたと自負しております。
 しかしその間ほとんど家庭は犠牲になりました。私自身も病院にへばり付いているような毎日で、私的には不毛な人生でした。そろそろ、少しは自分のため家族のための時間を作りたい、旅行もしたい、趣味も楽しみたい、長年の病院責任者としての重圧から解放されて、そろそろ少しは楽をさせて貰いたいと、二年前に院長を交代しました。しかし医療法人東恵会の経営も簡単ではありませんので、理事長として東恵会全体を統括し、束ねて行かなければならない重要な役目が残っていますし、昨今は産婦人科医師不足で、医師としての診療も続けていますので、すっきり引退する訳にも行かない現実です。それでも、30年を迎えて、ある種の達成感は感じてます。そして晴れやかな気分です。
 そこで去る4月5日の土曜日の夜に、初めて愛知県医師会長を始め、関連医局の先生、関連企業の方々、ロータリーの友人、旧職員など、来賓の方々をお招きして、30周年記念パーティをささやかに開きました。沢山の人が出席してくれて、それぞれ思い出や、祝辞のスピーチをして下さって、とても和やかな楽しい会になりました。そこで思ったのですが、人間は一生に少なくとも3回は褒められるといいます。最初は生まれた時、2回目は結婚した時、最後はお葬式の時だそうです。しかし、それ以上にもっと褒めてもらいたかったら、この様に何か理由をつけて、パーティを自前で開けば褒めてもらえる事が解りました。
 又、「理事長30年の思い出を語る」と云うコーナーがあり、私が思い出やら、今の心情やら、将来の希望やらを話したのですが、遂々長くなって、「独演会でしたね」などとブーイングも受けましたが、一生に一度の晴れ舞台ですので、多少の事は大目に見ていただけるでしょう。
 その中で話した内の2~3を再録しますと、これは真から思っている事ですが、先ずは、こうして30周年を華やかに皆様と共に迎えられた事を大変価値のある事だと感謝し、「それもひとえに応援して下さった今日お集まりの関連医局の教授を始め多くの先生方、又関連企業の皆様、それにも増して、それこそ日夜、陰日なたなく、働いてくれた新旧職員の努力の賜物だと心から感謝しております。中でも、石丸院長を始め、井口副院長、前津総師長、中山ジェネラルマネージャーの、愛社精神には頭の下がる思いがします。このいずれが欠けても今日は無かっただろうと思います。本当に有難うございました。」と、心からの感謝の意を述べました。
 続いて、私の経営に対する基本的な考え方の一環を述べたのですが、その一つに「将来、あーします。こうします。と言っても今罹っている患者さんには何のメリットも無い。今罹っている患者さんに役立てるには、すぐ実効しなければ意味がない。余裕が出来てから、儲かってから始める等と云っていては絵にかいた餅になってしまうので、何か良いアイデァが有れば、結果は後からついて来ると、経済的な前後の見境も無くすぐゴーサインを出してしまいますので、結果的に借金体質が今だに続いて困っています。しかも最近は私のアイデァが当たらない事が多くて結果が後からついて来なくなったので、事は深刻です。しかもこの方針は今も変わりませんので、院長を始め、幹部職員はハラハラ、ドキドキと心配が絶えないようです。ご免なさい。」と冗談の積りで言ったら、えらく拍手がありました。職員は真剣にそう思っているようです。
 最後にここ10年の近未来の方向性について「結局今までと同じ方針で(患者さんに優しい理想の周産期病院の確立)を目指して行けば、良いと私は思っています。開院以来30年間、産科の医療事情が良くなった事など一度もありません。少子化になったのは勿論、出産年齢が上がって難産は増える、訴訟も増える一方ですし、訴訟まで行かなくても医者に対する世間の目は一層厳しくなって、とうとう産婦人科の成り手が激減し、診療所だけでなく、公的病院の産科まで閉鎖に追いやられるような、明るい話は一つもない時代です。しかしここまで産科が不遇になると、かえって当院のような、産科的設備と人的資源がある所ではチャンスかもしれません。必ずリスクの少ない普通のお産をする病院が必要となります。それが民間の母子センター的周産期病院です。当院は最もその規格に近い病院ですので、創立のモットーを踏まえた妊婦さんに優しい周産期病院を確立すれば、公的な周産期母子センターとは一味違った民間型母子センター的周産期病院の役割は充分果たせるでしょう。どうか、院長を初め、現職員の諸君、更なる病院の飛躍の為になお一層の自覚と努力をお願いします。」と締めました。
 どうか皆様、これからもご贔屓の程よろしくお願いします。