第118回   初詣で悩んだ“日本人の信仰心”
2016年1月20日  
 
   “愛読者の皆様、遅ればせながら、明けましておめでとうございます。”
 例年、1月のコラムはこの書き出しが恒例になりました。今年も1年間お付き合いの程よろしくお願いいたします。

 元旦の朝、熱田神宮へ初詣に出かけました。今年は例年に比べてかなり混んでいましたが、たぶん参拝時間がいつもより少し遅かったのと、お天気が良くて暖かかったのが影響していたような気がします。毎年思うのですが、このもの凄い雑踏の中で、今年1年間のお願いごとをするためとは云え、良く皆さん我慢して秩序を保っていますね・・。何万人もの人々が狭い参道を埋め尽くし、遅々として進まない埃っぽい砂利道にひしめき合っているのに、それでもほとんど混乱も無く、どちらかと云えば穏やかに、緩やかに境内に向かって流れて行きます。参拝されている皆さんの多くは私も含めて信仰心が特別篤いとも思えないのですが、お正月と云う特別な日だからか、あるいは日本人の律義さか、いずれにしても不思議な、おそらく外国の人には理解できない光景だと思います。私自身もあまりイライラする訳でもなく、流れに身を任せ、祭壇の前に到着した時にも、“やっとたどり着いたからには、ゆっくりお参りして簡単には後の人に譲らないぞ”などと意気込む訳でもなく、お賽銭を投げて、ほんの1〜2分願いごとを唱えただけで、年頭の儀式を終えたことに安堵し、ホッとした満足感を覚えていました。
 一方、暮れの31日の夜は年越しのおせち料理を食べる前に、お仏壇にお供え物をして先祖供養のお経をあげます。
 余談ですが、先導してお経を読むのは家長の私の役目です。こう見えても“正信偈”位はあげられます。お経をあげると云うのは、門前の小僧ではありませんが、意味は解らずとも、節をつけて読めると云うことです。私も意味はほとんど解っていませんので門前の小僧とあまり変わりません。
 暮れはお寺、正月は神社と我が家もそうですが、我々日本人は生活の上で神仏を上手に使い分けている気がします。よく、日本人は無宗教だとか、神仏両方を受け入れているのは本当の宗教心では無いとか云われますが、私はそうでもない、現代の日本人も結構神や仏に依存していて“困った時の神頼み”はしょっちゅうですし、“仏心が仇になった”りも時々します。むしろ日本人は宗教を上手に取り入れていて、精神的に不安な部分を補っていますが、宗教に支配されたり、溺れていないと云う気がしています。少なくとも宗教至上主義でテロや内戦を起こすような本末転倒にはなっていないと思います。
 さて、神仏を上手に使い分けていると云いましたが、本当にそうかなと悩ましい思いでいましたら、1月12日及び19日付の中日新聞文化欄に愛知学院大学文学部教授の木村文輝先生が“現代日本人の神仏観”と題する、まるで私の疑問の回答のような記事を載せられました。その内容の一部を引用しますと。
 “そもそも、神道と仏教を二つの宗教とみなすようになったのは明治時代の神仏分離以来のことで、以前はむしろこの二つの存在を明確に区別せず、いわゆる神仏習合として崇拝するのが伝統的だった。現在の我々も理屈ではこの二つを別々の宗教と考えながら、心の中では一体のものとして受け入れているのではないだろうか。ただし、この二つを全く同じものとしてとらえている訳でもない”。まさしくその通りだと思います。
  “そのことを端的に表しているのが、「神」と「仏」と云う言葉を無意識に使い分けている事実である。例えば、野球の上手な人を「野球の神様」、手術の上手な外科医を「神の手を持つ」、また、特に優れた技術を「神業」。一心不乱に集中することを「神がかり的」と呼んだりする。このような意味で用いられる「神」と云う言葉を「仏」に置き換えることは出来ない。一方、大変優しく慈悲深い人を「仏の誰それ」、私利私欲の無い高潔な人を「生き仏」、心穏やかな境地を「仏の境地」と表現する。この場合の「仏」と云う言葉も、「神」に置き換えることは出来ないのである”。なるほど、なるほど・・・。
 “加えて、神と仏のこのような区別は、神社とお寺の祭りや儀式に対する人々の捉え方にも表れている。子供が生まれた時に神社にお参りに行って、健やかな成長を祈る行為は、神から生きる力を授かるためである。一方、人が亡くなった時に、大抵の人がお寺で葬儀を行う背景には、死者の心を仏に鎮めてもらうことが意図されている”。こうしたイメージをもとにして、筆者は一つの仮説を立てている。
 “即ち、現代の日本人は「神」を特別な技術や力、エネルギーの持ち主で、それを人々に分け与える存在。「仏」は慈悲深い存在で、欲望を初めとする様々な力やエネルギーを鎮める存在である”と云う仮説である。
 “つまり現代の日本人は無意識の中であれ、「神」はアクセル。「仏」はブレーキと云う明確な役割分担を期待して使い分けているのである。そうだとすれば、神と仏の双方に祈りを捧げる日本人は宗教に不真面目では無く、むしろ篤い信仰心の持ち主ということになる”と云う訳で私が初詣の時から抱いていた神と仏に関するもやもやはすっかり溶けて、晴れやかな正月を迎えることが出来ました。
 皆さん、今年も“神”と“仏”に上手に帰依し、加護を授受して頑張りましょう!
 
 
星ヶ丘マタニティ病院 理事長 近藤 東臣  
 
 
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