第12回 平和な日本に難民出現!? 事もあろうにお産難民 2007年3月20日  
 
  今月は少し重いお話です。しかし是非若い妊娠世代の皆様に知っていただきたい事柄ですので我慢して読んで下さい。
  最近「産科医療崩壊」とか「お産難民出現」とか云った見出しの報道を新聞やテレビで見かける様になりました。その論調も概ね実情を的確に把握しており、医療者側に好意的な内容になっています。2〜3年前までの産科バッシング一辺倒だった報道姿勢に比べると隔世の感があり、昨今のマスコミの論調の変わり様に戸惑いも感じますが、とにかくやっと気付いてくれてありがたいと思っています。そのお陰で、今では産科崩壊を防ぐためにはどうすべきかと医療者側の立場に立って国会で質問してくれる議員も現れました。それにしても報道の姿勢によって世論の流れをも変えてしまうマスコミの力の強さに改めて凄さを感じ恐怖さえ覚えます。どうかジャーナリストの皆様、独善的で、傲慢にならず、謙虚で公正な報道をお願いします。
  それはともかく、事態は既に遅きに失した感があり崩壊はかなり進んでいます。何故お産難民が出るほど、産科の施設が減ってしまったかと云いますと、一にも二にも産科医の激減にあります。その結果、地域の中核病院でも安全な2次医療を行うのに充分な産科医の確保が困難となり、産科病棟を閉鎖する羽目になりました。そうなるといざと言う時に送る高次病院が無くなったので、周りの産科の開業診療所も不本意ながらお産を断念せざるを得ません。こんな連鎖反応がまず過疎地の地方都市から始まり、今では大都市周辺にも波及してきました。幸い名古屋中心部や東部では今のところ大丈夫のようですが、名古屋西部では、既に兆候が出始めています。このまま推移すれば、近々名古屋東部、中心部にも及ぶでしょう。
  そもそも産科医が絶滅危惧種になった原因の一つは、他科の医者に比べて極端な過重労働、それに見合う報酬の担保の無さ、もう一つは医療訴訟の多さ、最近では刑事事件となって逮捕されてしまう事さえある不条理、一方中小病院での助産師不足、高齢の産科医のお産からの撤退、女性医師の増大、新研修医制度による大学医局の微力化等が挙げられます。
  日頃少子化対策を国の最重要課題だと宣伝している行政、特に厚労省には上記の諸問題の早急な対策を立ててもらいたいものですが、実は上記原因の幾つかは、厚労省の遠謀深慮な政策によって起こった事でもあるのです。例えば新研修医制度、これは卒後すぐ専門科を決めずに臨床研修病院で2年間の卒後研修を行う制度です。この事自体は医師にとっても患者さんにとっても良いことだと思いますが、それによって大学離れが進み、大学医局の人事が機能しなくなり(ここまでは厚労省も読んでいて、あるいは医局の力が落ちることを望んでいたかもしれませんが)、僻地病院等の関連病院への医師派遣が出来なくなったり、また産科勤務医の過酷な実情を研修医が知りすぎ、産科希望者が進路変更をしてしまう事態が起こったりまでは厚労省も想定外だったと思います。余談ですが以前は卒業と同時に専門科を決めてその医局に入ってから研修をしていたので、生命の誕生の神秘に魅せられた夢多き医学生が現実を知る前に産科に勧誘することが出来たのですが・・・。
  あるいは助産師不足、これは今に始った事ではないのですが、足りない分を昭和40年から日本産婦人科医会立の産科看護学院を卒業した産科看護師を医師の助手として補うことで対処して来ました。ところが平成14年、厚労省は看護課長通達という形で突然看護師の内診は違反だと言い出しました。しかしその代わりに助産師学校を増やすなどの対案は全然ありません。医師が一人の妊婦さんに四六時中付きっ切りでは病院が機能しませんので、助産師の足りない診療所では分娩を制限するか中止するしかありません。(これも分娩のセンター病院集中化を企てている厚労省の作戦かもしれませんが)。
  うがった見方はさて置き、今頃の若者気質では同じ給料なら楽な科の方が良いと考える医者も多いでしょうが、産科を志す者はある程度加重労働は覚悟していると思います。私も若い駆け出しの頃は当直の多さや緊急呼び出しはあまり苦になりませんでした。むしろ率先して月に15〜20日位当直をしていて、家には3日に1度下着を取りに帰るくらいでした。勿論少しでも早く経験を積みたいという向学心に燃えてのものでしたが、無給医でしたので小使い稼ぎの意味も本音ではありました・・・。
  研修医が実情を見て産科を嫌になるのは、加重労働そのものでは無く、それを正当に評価されないと云う事が一番だと思います。例えば夜中に起きてお産に立ち会い、全ての処置を終わって「おめでとう」と云っても、本人からも立会いのご主人からも「ありがとう」の一言も云ってもらえない事が多い現実、ましてや結果が悪ければ直ぐクレームが付き、散々詰問されて、まるで故意の犯罪者のように云われた挙句、訴訟になる。これでは医者として誇りを持って働けない、もっと信頼関係の保たれる科を選ぼうと云う事になると思います。
  そもそもお産が皆安全で全て母児健全に生まれるなら、産科学と云う学問等必要ありません。しかし現実には幾つかの異常が起こり、母児いずれかに不幸な転帰が出るので、産科学が起こり発達してきたのです。太古の昔と比べなくても正確な統計がある昭和25年と比べてもこの60年弱で、周産期死亡率で1/15、母体死亡率では実に1/30に減りました。その間の産科学の進歩は凄いものがありますが、それでも尚、今でも周産期死亡率で3/1000、母体死亡率で5/100000位は有るのです。まだ産科学は完璧ではありません。このことを皆さんには理解して欲しいと思います。何時ごろからか日本ではお産神話のようなものが出来て、どこで生んでもお産は心配ないから、医療的なことよりもアメニティの良い、付加価値の高い産院を選ぼうと云うような風潮になりました。産科医に取ってそこまで信頼されているのなら嬉しいことですが、現実には安全神話は少し早いようで、産科学は発展途上中です。どんなに手を尽くしても不幸な転帰をたどる例が少数ですがまだあります。
 その辺を国民の皆さんが理解して下さらないと、また行政も無過失保障制度の導入など、この点の対策に一番力を入れてくれないと、結果が悪ければ即訴訟では、我々既存の産科医もお産をやめたいし、新しい産科医のなり手も無いでしょう。そうなれば、わずかに残った産科施設に妊婦さん達は殺到し、あふれた多くの哀れな妊婦さん達は劣悪な難民キャンプで医療の恩恵も受けられず、命を掛けてお産にチャレンジすることになるでしょう・・・。と云う様な事にならないように、我々だけでなく国民全体で対応策を考えなければならない時期がきていると思います。
 
 
星ヶ丘マタニティ病院 理事長 近藤 東臣  
 
 
▲PageTop  
 
産婦人科・内科・心療内科・小児科・再生医療科(歯科口腔外科・形成外科)
医療法人 東恵会 星ヶ丘マタニティ病院
〒464-0026 名古屋市千種区井上町27番地
TEL : 052-782-6211(代表)
Copyright (C) Hoshigaoka Maternity Hospital All Rights Reserved