2010年4月21日
第49回
幸運にも古希を迎えました!
皆さん古希ですよ!“人生七十古来稀なり”と詠まれた古希まで生きられたなんて本当に感謝、感謝です。もちろん、杜甫が“人生七十古来稀なり”と詠んだ唐の時代と現代とでは平均寿命に何十年もの差がありますから、一般的には今では70歳まで生きても“古来稀”でも無いでしょうが、当時の私の状況から考えれば、“古来稀なリ”と表現出来る位、幸運でありがたい事なのです。
先日、ある消化器の医者が、一般市民向けの講演で“もし、定期健診でごく早めの胃がんが見つかれば、今や内視鏡でがんだけを切除することも出来る時代です。胃を取らずにがんが治った人の幸運は、ジャンボ宝くじに当たったようなものです”と話していましたが、思い起こせば、私もその幸運な宝くじに当たった一人かもしれません。私の胃がん発見もその時点からかなり幸運でした。開業後は立場上仕方なく毎年健康検査を受けていました。しかも管理者と云う事で項目が他の職員より多く、胃の検査も受ける事になっていました。手前勝手で申し訳ありませんが、患者さんの検査は“我慢して!”とか云いながら平気でやっていますが、自分が受けるのは大嫌いで、特に胃の検査に関しては、バリュウムを飲むのはまだ大丈夫ですが、胃カメラはオエッとなって特に苦手なので、院長権限で我がままを云って、胃カメラと胃透視を1年毎に交互に受けていました。たまたまあの年が胃カメラの年だったので胃がんがごく早期に見つかったから良かったものの、もし逆で、あの年にバリュウムを飲んでいたら手遅れになっていて、今頃は理事長コラムを書くどころか、この世にいなかったかもしれません。流石に12年前は内視鏡でがんだけ切除と云う訳には行きませんでしたが、それでも本当に運が強い、幸運だったと感謝しています。蛇足ですが、皆さんもぜひサボらずに胃がんに限らず定期健診を受けて下さい。
蛇足ついでに云いますと、この理事長コラムのサブタイトルを“一病息災”と付けたのも、術後の体力が少しずつ回復し出だした当時の私の心境から考えたものです。医者の不養生が際立っていた私も、退院後は身体に気を配るようになり、特に食事、睡眠、そして運動をも考慮して体調の維持に努めました。お陰で以前ほどの体力は無いにしても、胃を全摘した人の中では後遺症も少なく元気に過しています。これぞ正に“一病息災”です。当時、病院のコラムだから“一病息災”より“無病息災”の方がイメージが良いのではないかと云う意見もありましたが、意識しない受動的な息災の“無病息災”より、摂生の結果として得た能動的な息災である“一病息災”の方が同じ息災でも前向きで価値が有りそうだし、又当時の私の身体の状況からも“一病息災”の方が院長コラムに相応しいサブタイトルだと思い決定しました。
すっかり体力を落として退院した時は、先はあまり長くないだろうとある程度覚悟を決めました。だから、あまり多くなさそうな残りの人生、一日一日を神が与えて下さった大切な一日だと思って大事に有意義に過ごそうと考えました。しかし、大切な日々も12年も続くと、当初の殊勝な気持ちが段々薄れて、今では以前の怠惰な生活に戻ってしまった気がします。人間は弱いもので、易きに流れやすいものです(私だけかもしれませんが・・・)。記念すべきけじめの古希を迎えた今日を境に、一念発起して新たな気持ちで大切なおまけの日々を感謝しながら有意義に過ごそうと決心し直しました。ちなみに母は胃がんで亡くなりましたが、それでも73歳まで生きました。そこで今度は母の歳を越えると云う新たな目標を立てました。どうか家族、職員を初め、皆様方の暖かいご協力とご声援(要するに楽をさせてくれ~・・・)をお願いします。