2024年1月22日
第214回
今年から診療を引退した!
 今年は新年あけましておめでとうございます。と素直に言えない年になりました。元旦早々に能登半島地震が発生し、現地は悲惨な状態が続いています。激甚災害に認定されて整備は始まりましたが、あれから20日も経っても再興に向けた明るいニュースがあまり聞こえてきません。それどころか北陸地方は寒く、雪も降って被災生活は大変で災害関連死が取りざたされています。
 我が病院も何か被災者のお役に立ちたいのですが中々具体的になりません。義援金活動に協力するくらいしか出来ることが無いのがもどかしい次第です。

 何時も新年の理事長コラムは今年の抱負など建設的で楽しい夢を一杯語ってきましたが、今年はこんな時にノー天気だと言われそうで、その気になれません。それで、新年の話題としてはそぐわないかもしれませんが、私の診療引退についてお伝えすることにします。

 実は今年から私は診療から手を引くことになりました。事実上医者としては引退と言うことです。残念ですが、もう患者さんとしての皆さまにお会いする機会は無いと思います。(医師免許証を返上した訳ではありませんので、どうしても私に診て欲しいと言う人は、特別に便宜を図らいますが〈笑〉。もうそんな人は居ないかも・・・)。
 思い起こせば50年前。当時の分娩の在り方、特に妊婦さんに我慢だけを強いる扱い方に疑問を持っていた私は、女性にとって妊娠・分娩は一生に2度か3度の命を懸けた大事業だから、もっと妊婦さん中心の診療をすべきだと考えていました。それを実現するには自分がトップになって妊婦さんに優しいお産病院を作るしかないと考え一念発起して、昭和53年4月に産婦人科病院を開院しました。
 それ以来約46年、紆余曲折は色々ありましたが、患者さんに優しい理想の周産期病院を目指して猪突猛進してきました。働き方改革など無い時代でしたので、当直で一睡もせずにお産に立ち会い、そのまま翌日の外来に従事するなど長時間労働もこなしましたが、肉体的にも精神的にもタフだったのかあまり負担にもなりませんでした。
 その甲斐あって今ではこの地域で、ある程度老舗の内科、小児科、心療内科、歯科も揃った周産期病院として知られるようになりました。
 病院は成熟してきましたが、私を始め今まで中心になって活躍してくれたスタッフが老齢化してきました。所謂世代交代の時期が来たのだと実感します。そのきっかけになったのが、今が働き盛りの森先生が1月から赴任してくれたことです。これを機に先ず私が身を引くことにしました。今後少しずつ世代交代を実行して次の世代に上手に繋いでいきたいと思います。もちろん病院としては新しい世代のリーダーたちでこれからの妊婦さんのニーズに合った周産期病院に増々充実、発展させてもらいたいと思っています。
 私は肉体的にも精神的にも相当衰えてきました。もの忘れも激しくなり、少しボケも出始めた気がします。しかし、まだ認知症にはなっていませんので、もう少し理事長として経営面で携わって世代交代を助けたいと思っています。

 病院の50周年をかくしゃくとして迎えたい。私にとっては米寿です。米寿を過ぎても元気な友人もいますし、私もここまでくれば後4年位は頑張れそうな気がします。
 50周年の記念式典を盛大にやって、そこでこれからの病院の進むべき道の思いの丈を心行くまで語って引退したい。
 あと少し、肉体的にも精神的にもボケないように切磋琢磨です!