2006年3月20日
第13回
フルコース
実は3月3日、お雛様の日の午前1時28分、同30分に緊急帝王切開で2114gの男の子と2378gの女の子の双子ちゃんが無事生まれました。この患者さんはKさんとおっしゃいますが、やっと望みどおり、一気に男の子と女の子の2児の親になれて目出度し目出度しという事になりました。しかし此処に至るまでのKさんご夫婦の子作りに関する過程は大変なもので、それこそ妊娠分娩に関する治療のフルコースでした。
手術を終わって私は、新生児室のガラス窓越しに生まれたばかりの二人の我が子に見入っているご主人と目が合った時、思わず医者と患者のご主人と云う関係を超えて“やったぜ!ベィビィ”のような乗りで経過説明をしてしまいました。普通、妊婦さんとは分娩までに何度かお会いして診察し、たまには世間話もしていますのである程度親しくなっていますが、ご主人とは手術の前に始めてお会いして説明する位ですので、術後のお話も冷静に感情を入れないでする事が多いのですが、Kさんの場合は初診以来もう4年越しになり、その間色々ありましたのでご主人ともかなり顔馴染になっていました。ご主人も40を二つ三つ超えてもうそんなに若くも無いのに“サンキュウ、ドクター!”と言う感じでひとしきり饒舌に話していましたが、急に私の両手をしっかり握ってうつむいて黙ってしまいました。万感こもったのでしょう、必死で涙をこらえている彼の手の震えを感じて思わず私ももらい泣き状態でした。最近は夜中に起こされて分娩に立ち会っても、ご主人からも本人からも“ありがとう“とも云ってもらえないご時世ですので、こんなに感謝、感激されたのは久しぶりで、夜中の緊急手術に呼ばれて飛んできた甲斐がありました。
かなり分厚くなったKさんのカルテを個人情報保護法に触れない程度に紐解いて振り返ってみますと、初診は平成14年6月、病名は“続発性不妊症”、2年程前に自然流産の経験があり、その後妊娠せず年令も35才になってしまったので、少し心配になって相談に来たという事で不妊外来を受診されました。一通りの検査をしましたが、ご主人の精子が多少、少ない以外は特に異常なく、取り敢えずタイミング指導から始める事になりました。1年位に渡って7回タイミング指導がなされましたが妊娠せず、15年4月からAIH(人工授精)に変更して、6回試みています。その間ホルモン治療を併用したりしていますが、上手くいかず、次の手段として体外受精を勧めた所で、やはり体外受精には抵抗が有ったのでしょう、しばらく休憩となりました。
16年も秋が過ぎた頃、“もう時間が無い体外受精でも何でも受けてみます“という事で再来されました。その年の暮れに1度試みましたが、成功しませんでした。その時の採卵にかなり恐怖が有った様で、又なかなか赤ちゃんが出来ないイライラも重なって、精神的にも不安定になられました。そんな時、不妊カウンセラーの資格を持つ看護師のアドバイスは役に立ったようで、時々相談されていました。この頃からご主人ともお会いするようになり、後の入院中にはしょっちゅう説明もしていましたので、顔馴染になっていました。年が明けたら、Kさんの気分も落ち着いたようで体外受精を2回受けられましたが、やっぱり駄目でした。成功する人は大抵3回までに妊娠する事が多いので、次はもう一段ステップアップして顕微授精をする様に説明しましたが、今度はご主人が抵抗されて、もう一度普通の体外受精をする事になりました。すると、やっと2人の願いが天に通じたのでしょうか、2週間後妊娠反応が陽性に出ました。Kさん夫婦は大喜びでしたが、まだ胎嚢(赤ちゃんの袋)が確認出来ない時期ですので正常妊娠かどうか我々には一抹の不安がありました。一方ホルモン剤使用の副作用としてOHSS(卵巣過剰刺激症候群)といって卵巣が大きく腫れて腹水が溜まる症状が出てきました。だんだんひどくなってとうとう入院治療する羽目に成ってしまいました。これで子宮外妊娠だったらどうしようと心配していましたが、胎嚢が見つかり又OHSSも収まりだしてやれやれと思っていた所、今度は切迫流産の徴候が出始めて、そのまま入院続行となり、なかなか思うようにはいきませんでした。そのうち胎児も超音波上で写ってきて、しかも双子である事が判明しました。ご夫婦は入院中”もう年だし、どうせなら双子が良いな“と云われていましたので、分娩予定日が計算上、平成18年4月1日と言う事もあって“え!うそ!まさかエイプリルフールでは無いでしょうね”と驚いたり、喜んだり、大騒ぎでした。やがて異常性器出血も収まり、妊娠10週でやっと退院してもらう事が出来ました。
その後の経過は順調でしたので、だんだん要望も贅沢になり、最初は“何とか30代で子供が生みたい”だった希望が、“出来れば2人、それも男の子と女の子が良い”に膨らんできました。高齢妊娠のため染色体異常の確率が上がるので羊水検査の説明もしましたが、折角出来た子にそんな検査は必要ないと断られました。しかし性別は早く知りたいと催促されていましたが、やっと7ヶ月の健診で1人は男の子、もう1人は女の子と判り、ご夫婦の希望どおりになってきました。ただその頃から急にお腹が大きくなりだして腹緊も出始めました。張り止めの薬を飲んで安静にしてもらいましたが、収まらず、とうとう妊娠30週に“切迫早産”で再入院となってしまいました。ご本人は元気なのに、持続点滴をされて安静を強いられ、又だんだん精神不安定になり出しましたが、そんな時ご主人の勇気づけは何よりの支えだったようです。私も経過説明だけでなく、世間話もするようになりKさん夫婦とは、いつの間にか親しい知人のようになっていました。5週間強におよぶ入院安静の結果やっと症状も落着きましたので、本人の希望も有って、1度退院して英気を養ってから、再々入院をして帝王切開に臨もうと云う事になり、日取りも決めて、いよいよ明日退院という前日に前期破水を起し、陣痛もついてきて前述したように、とうとう夜中の緊急帝王切開となってしまいました。
と言う訳でKさん夫婦は産科治療のほとんどフルコースを経験されました。ついでに治療歴を付け加えれば、未熟児で生まれた男の子は、現在当院未熟児室に入院中で、お母さんは毎日ミルク(母乳)を持って通院されています。小児科の医師によると、体重も増えてきて元気なのでそろそろ退院出来るだろうとのことでした。もうすぐ待望のKさん一家の四人揃った団欒が始まる事でしょう。どうぞお幸せに!